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仁鍼灸治療院(江戸川区・葛西)は、はりきゅう・マッサージ・スポーツマッサージ・リラクゼーションの鍼灸治療院です。 |
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HOME >> スタッフコラム >> EP-13 (2007/2/18) |
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院長日記。不定期に
更新しています。 |
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スタッフからコラム(不定期) |
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石岡院長の高校時代の野球の物語です。
番外編として新登場!!
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EP-13 (2007/2/18) |
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2月も半ば近くになり徐々に実践的な練習も増えてきました。
後半からは春の大会に向けて紅白戦や練習試合の数も多くなってきます。春季予選は7月に始まる夏の甲子園代表校を決定する県予選のシード決めも兼ねていて、ここで良い成績をおさめれば甲子園がグッと近づく重要な大会です。
この頃、私はほぼレフトのレギュラーを不動のものにしていました。
実際、3月に入ってからの本番を想定した対戦相手(県外の強豪校といわれるところ。県内の強豪校は手の内を知られないために、直前の時期は試合を組みません)との練習試合でも同学年の中で一人だけ、常に先発フル出場をしている状況でした。
こんなモチベーションの上がる環境で野球をしていたものですから、頑張っただけ確実に自分に返ってくるような気がして、厳しい練習の中にも充実した毎日を送っていました。
この時期と夏休みの期間は毎年多くのOBが練習に参加します。毎日数人、多い日は10人近くにもなることもありました。
練習を手伝う人手が増えると普段できないメニューや、総じて練習もよりキツくなります。中でもOBとのマン・ツー・マンによる“特守”は恐怖でした。
“特守”とはノッカーと選手が一対一でノックを受ける“特別守備練習”です。今はあまりないのかもしれませんが、青春スポコン漫画の世界に出てくるようないわゆる1000本ノックみたいなものです。三遊間(二塁と三塁ベースの間)や一二塁間辺りに一人の選手が立ち、ノッカーが右に左にと飛びついてやっと届く打球を打ち分け、これを延々と受けるのです。
体力のあるうちはまだ良いのですが、最後の方は足も動かず取れない打球がほとんどです。それでもノッカーからは容赦なく強い打球と怒声が飛んできます。
「何やってんだ!飛べ!」「立てよ!10球連続で取れるまで終わらないぞ!」etc…。
ノックが終わる頃にはもうユニフォームは汗と泥でグチャグチャでした。
当時、毎日練習に顔を出していた野球部OBのNさんがいました。教員を目指していたNさんは教育実習で習校に来ていたため放課後の練習も手伝っていました。
Nさんは習校野球部では有名なOBで、噂では現役時、甲子園こそ行けなかったものの県内ではかなり有名な選手だったそうです。かつての偉大なOB、谷沢健一さん(元中日)や掛布雅之さん(元阪神)とも比較されるほどの左バッターだったとも聞きました。
地元は県外だったそうですが、やはり監督を慕って習校に来たということも聞き、監督も一目置いている存在です。実際、メンバーが遠征などでグラウンドを空けている時には居残り組の責任者として監督代行などもしていました。
Nさんは我々の間でも“鬼のOB“として有名で、練習内容はもちろんのこと、練習に対する姿勢なども厳しい方でした。
私はどうもNさんに目を付けられていたのか(?)、特に厳しくされていた印象があります。勝手な想像ですが、おそらく体格も同じくらいで、同じ左バッターということもあり多少は気にかけていてくれたのだと思います。
そんなある日の練習中、今も忘れない自分自身の卑怯さに飽きれ果てる出来事がありました。その日はメンバークラスの連中が一人ずつ順番にOBの特守を受けていました。
私の番が来ました。私のノッカーはいつも決まってNさんなのですが、その日Nさんは実習が長引いていたらしくまだグラウンドに来ていなかったので、ノックはMさんという別のOBがすることになりました。Mさんは選手の間でも優しい人、温厚な人というイメージがあって、私もMさんのノックを受けたことのある連中から「お前はいつもNさんで地獄だね。Mさんは楽だよ。」という話を聞いたこともありました。
実際、ノックが始まると確かにNさんに比べると易しい気がします。しかし、時間が経つにつれて取れないボールも多くなってきました。
連日の特守で身体中が痛く、疲れもピークだったということもあったのかも知れません。(私だけではないのですが…)
しかし、実際には完全に全力を怠っていましたし、飛びつけば届きそうな打球も簡単に諦めていました。ほとんど怒らないMさんをいいことに、私自身、明らかに手を抜いていることを自覚していました。今思えば自分でもなぜそんな狡いことをしてしまったのか分かりません。
そんな私の様子を遅れてグラウンドに来たNさんは遠くから見ていたようです。ユニフォームに着替えたNさんはノックをしていたMさんの所に来ると、「Mさん、すいません、ここからは私が変わります。」と言いました。(…と言ったようです。たぶん。)
するとNさんは私を呼びつけ、こう尋ねました。
Nさん:「どこか足でも痛いのか?」 私:「いいえ」
Nさん:「Mさんだから手を抜いていたんじゃないのか?」 私:「いいえ」
Nさん:「全力で追えば届くボールもあったんじゃないのか?」 私:「はい」
Nさん:「じゃあ俺がやるから守備につけ!」
私はもう完全にテンパっていて訳の分からない返事をしていました。確かに疲れていたとはいってもそんなことは言い訳にもなりません。自分の卑怯さを自覚していた私は何も言えず、ただ下を向いていました。
そこからのノックはまさに地獄で、皆が終了した後も延々と続きました。もう頭では何も考えられなくてただ必死にボールを追い、到底届きそうにない打球にも飛びついていました。大袈裟ではなくノックが終了した時にはしばらく自力で立てないほどでした。
再びNさんが私を呼びつけました。やっと辿り着いた私に向かって…。
Nさん:「やれば出来るじゃないか!」「お前は人を見て手を抜いたんだ!そうだろ!」
私が「はい」と返事をした瞬間、Nさんは私の顔面を思いっきり平手で殴りこう言いました。「俺は人の顔色をみて行動するような奴が一番嫌いなんだ!そういう人間が一番狡いんだよ!」
この時は本当に自分自身を腹立たしく思いました。結果が伴わなくても努力が報われなくても、せめて“やれる限りのことはしました”と胸を張って言えない自分を情けなくも思いました。
入部して順調にここまで来て、今はレギュラーとして試合にも出ている毎日の中でいつしか驕りというか甘えみたいなものがあったのかも知れません。要するにちょっと天狗になっていたのだと思います。メンバーに入れなくても私よりずっと練習している奴も大勢いるのに…。
次の日から私には特守よりも辛い日々が待っていました。メンバーから外され、試合はもちろん練習でも打つことや守ることさえさせてもらえなくなりました。我々の間ではこんな状態を“干される”と呼んでいました。
走ること、練習前のキャッチボール、トスバッティング以外はずっと球拾いか雑用をする日々が続きました。本当に辛かったです。でも結果的にこの期間は自分にとって大切な時間だったと後になって気付きました。
それは今更ながらと恥ずかしく思いましたが、こういう必要な作業を毎日文句も言わずしてくれている奴らが大勢いることです。そして皆、「今はこうでもいつかはきっと…」と心に期するものを持って明るく頑張っているのです。
野球をすることに対してこんなに渇望したことはありませんでした。またあの喜びを味わうために、そして何より自分自身のために…。
何としてももう一度這い上がってあの場所に返らないと…。そう心から思いました。
最後に、今この文章を書いていてある私の好きなアーティストの曲の中にこんな歌詞があることを思い出したので書いてみます。
“大切なことはいつも当たり前の中にある”
To be continued…
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2007.2.18 S.Ishioka wrote |
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