仁鍼灸治療院(江戸川区・葛西)は、はりきゅう・マッサージ・スポーツマッサージ・リラクゼーションの鍼灸治療院です。
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J's diary(院長日記)
院長日記。不定期に
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スタッフからコラム(不定期)
Field of dreams〜院長日記番外編〜
石岡院長の高校時代の野球の物語です。
番外編として新登場!!
EP-2 (2006/7/14)
 無事、高校の入学試験にも合格した私は習高硬式野球部に入る日を心待ちにしていました。
 少し話が逸れますが、中学校の卒業式ではこんな事がありました。
 式の途中、校長先生がこう話しました。
「毎年、県が成績優秀者とスポーツ優秀者をそれぞれ表彰していますが、今年は我が校からも同時に選ばれました。その2名の表彰をこれから行います」と…。成績優秀者の方は、同学年の男子にとてつもなく勉強の出来るA田君がいたので、もちろんその彼でした。
 その後、なんとスポーツ優秀者として私の名前が呼ばれました。全校生徒、父兄の前、壇上にA田君と並ばされ、校長先生は私をこんな風に紹介しました。
「石岡君もあの野球の名門習志野高校に進学します。また大いに野球で活躍してくれることでしょう!」などと。そんな…私の前にA田君の高校(A君は県内一の有名進学校です)を連呼していたのに。そんなつもりで校長先生は言ったのではないのも分かりますが、それはないって…。なんか“石岡君は脳ミソが筋肉でできてます!”的な感じでかなり恥ずかしかったです。私って卑屈ですかね?

 話を元に戻します。
 4月某日、晴々とした自分の気持ちと同じくらい見事な快晴のもと、私は習校の入学式に出席していました。習校の男子制服はいわゆる黒の学ランです。しかもボタン、襟・袖に付いているジャバラ(?=ポイントのラインです)まですべて黒なので、全身真っ黒です。私はブレザータイプの制服を着たことがありませんでしたが、何となく硬派というか勇ましい感じがして、この制服がとてもお気に入りでした。
 入学式が終了し、会場から出てくる時に、ひときわ大きな紙に大きな字で何か書いてあることに気付きました。(まぁ誰にでも分かるくらい目立っていましたが)
そこにはこう書いてありました。…
“硬式野球部入部希望者は入学式終了後、父兄とともに野球部グラウンドに集合してください。”

 現在は場所を移転しましたが、当時の野球部のグラウンドは実際の校舎から歩いて20分くらいのところにありました。ナイター付で両翼90m以上、フェンスもあるほとんどグラウンドというよりは球場と言った感じで、室内練習場や寮も完備した公立高校にしてはかなり恵まれた環境でした。
 入学式終了後、父と共にグラウンドに行くと大勢の入部希望者、その父兄でそこはごった返していました。新入生は毎年ほぼ同じくらいだそうですが、私の代は特に多く当初は約70人位だったので(これが夏を迎える頃には約半分になります…)父兄と合わせると軽く150人近くいたのではないでしょうか。
 後で知ったことですが、我々が3年生になった時、習校がちょうど創立30周年だったらしく、野球部も本気で甲子園を狙っていたそうです。ですから、私のように声を掛けてもらった部員がほかにも20名ほどいました。部員は2、3年生がそれぞれ30人位でしたから野球部自体も100人を有に超える大所帯です。

 ほどなく数人の男性が現れ、その中のOB会々長と名乗る人物が挨拶の後、いきなりこう言いました。
「うちの野球部に入ると、まずほとんどの生徒さんの学校成績は落ちます。それが困るということであればこの場でお引き取りください。以上です。」
 いきなりそれですか?一同一瞬、目が点でした。多少、誇張というかデフォルメされた表現なのだと思うのですが、まぁそのくらいの意気込みで来てくださいということなのでしょう。私は思わず親父に顔を向けました。すると親父はちょっと笑って頷きました。

 翌日から早速、練習は始まりました。とはいっても新1年生が当初できることは、ただひたすら走ること、声を出すこと、雑用などなど…ボールやバットなんて握れません。特にうちの部は練習後のグラウンド整備をとても大切にしていたのでこれは1年生の大事な仕事です。
 1日はざっとこんな感じです。授業後、全体練習は21時くらいまで、その後、上級生の自主トレの手伝いやグラウンド整備、後片付け、ボール・バット磨きをするのでいつもグラウンドを出るのは23時半近くでした。
 これはかなりマズイ時間です。最寄り駅から学校までは徒歩15分位、前述しましたがグラウンドまではさらに20分位あったので、ゆっくり歩いていたら完全に終電に乗り遅れます。(何度かタッチの差で乗り遅れました)クタクタになった身体に気合いを入れて、仲間と一緒に毎日猛ダッシュでした。

 私は通い組の中では(遠方から来ている生徒のために寮がグラウンド内にありました)一番遠かったので、家に着くといつも夜中の1時近くでした。仲間と別れて駅に着き、停めておいた自転車に鍵を差す時、決まってホームの電気が消えました。その瞬間がとても嫌で何となくいつも泣きそうな感情になります。暗い道を自転車で走り、家に着くと母は毎日必ず起きて待っていてくれました。家の明かりが付いているとそれだけで安堵したのを今でも覚えています。それから風呂に入り、夕食をとるので寝るのはいつも2時過ぎです。
 上級生になると少し帰宅は早くなりましたが、そんな毎日を約3年間、食事の支度と山のような洗濯物…母も大変だったと思います。
 あの時、私はただ好きな野球だけをしていれば良かったのですが、周りは結構大変だったと思います。もちろん今になって気付いた訳ではありませんが、母に感謝です…。

 それにしても高校時代は本当によく食べました。いや食べないともたないといった方が正しいでしょうか。3食のほかに、2時間目の休み時間、練習前や練習後におにぎりやパンを食べていました。練習の合間、トイレに行くふりをして部室に戻り、大急ぎでパンをかじっていたこともありました。いま考えても食費は相当かかっていたと思います。
特に夕食は深夜で、その後すぐに寝るものですから普通ならおもいっきり太りそうなものですが、毎日のもの凄い摂取カロリーを上回る消費カロリーだったのでしょうね。中学での野球部引退後、運動不足もあってかなり余分な“お肉”が付いていたとはいえ、1年後の私の体重は13kg減でした。しかし、体力は間違いなく3倍くらい(!?)にはなっていたような気がします。

To be continued…
 2006.7.14  S.Ishioka wrote
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