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仁鍼灸治療院(江戸川区・葛西)は、はりきゅう・マッサージ・スポーツマッサージ・リラクゼーションの鍼灸治療院です。 |
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HOME >> スタッフコラム >> EP-20 (2007/7/13) |
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院長日記。不定期に
更新しています。 |
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スタッフからコラム(不定期) |
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石岡院長の高校時代の野球の物語です。
番外編として新登場!!
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EP-20 (2007/7/13) |
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一点をリードされた二回の表、私は先頭バッターとしてCho商業のエースK投手と相対しました。一球目、見事にコントロールされたストレートがアウトローに決まりました。
「速い…」。
バッターボックスで間近にみると改めてそのスピードと球威が感じられ、今まで対戦してきたピッチャーとは一枚も二枚も違うことがよく分かります。
二球目のストレートがボールになり、カウント1-1から今度はカーブです。このカーブも鋭い角度とブレーキの効いた変化でした。彼を打ち崩すのは相当大変そうです。四球目もカーブで初めてバットを振りましたが、これは何とかカットしてファールにしました。
ここで私は一つ考えを決めました。試合序盤の彼の球威ではカーブを狙ってストレートがきたらとても対応が出来なそうです。ここはストレートと変化球を8:2くらいで考えて、変化球はファールにしつつひたすらストレートを待つことにしたのです
変化球が二球続いたこと、前の球がカーブでそれをファールにしたこと…。これで私は“次は絶対ストレートがくる…”何となくそんな予感がしました。
キャッチャーに“真っすぐ待ち”を悟られないために、あえてバッターボックスを一旦外してタメを作るような素振りを一度しました。しかし、心の中では…。
「ストライクゾーンに来たら絶対打つ!」頭の中で完全にストレートで大ヤマをはりました。そして五球目、“ストレートです!”
「ヨッシャー、来た!」インコース寄りの真っすぐにバットを強振しました。しかし、結果は平凡なセカンドゴロ…。完全に球威に押され、手も痺れるほど詰まらせられました。
春の県大会2回戦、Cho商業との対戦は各校応援団、観客とも大いに盛り上がって熱い戦いとなりました。しかし、K投手(元広島→中日)とO選手(元横浜)を擁し今大会ダントツの優勝候補であるCho商業はやはりその実力も飛び抜けていて、習校は終始劣勢の苦しい戦いを強いられました。
打線もヒットは時折出るものの連打はなく、点になかなか結びつきません。挙げ句には相手のトップバッターO選手にヒットを打たれ、自慢の俊足でかき回される展開です。気が付くと試合も中盤を過ぎた時点で0-4とリードされていました。
私の二打席目は1アウトランナーなしで回ってきました。初球カーブが外れた二球目、やはり真っすぐを狙い打ちました。打球はフラフラとショートの後方へ上がり、レフトとの間にポトリと落ちてヒットになりました。しかし、これも完全な振り遅れで飛んだコースが良かったという感じです。
三打席目は7回表でした。1アウトから私の前の4番バッター(3年生)がK投手のストレートを完璧にとらえ、レフトスタンドへホームランを放ち一点を返しました。この時は押され気味だった習校応援団も大騒ぎです。大歓声の中で打席に向かった私はこんなことを考えていました。
「前の二打席から自分が真っすぐを狙っていることにキャッチャーもそろそろ気付くだろう。追い込まれると厳しいので、ここは早めのカウントを整えにくる変化球に狙いを絞ろう」と…。
予想通り、一球目のカーブを思い切りたたくと打球はピッチャーの前で大きく跳ね、そのままセンターに抜けるヒットになりました。遅まきながら一気に反撃ムードが高まり、歓声はさらに大きくなりました。しかし、ここからはやはり相手が一枚上でした。後続をピシャリと抑えられ、結局一点止まり…、振り返るとこの回が唯一のチャンスだったのかも知れません。
チェンジになり二塁ベース上からベンチに戻った時、私に思いがけないことが起きました。ベルトのバックル辺り(ベルトを噛むように抑えているノコギリのような金属の部分)でベルト自体が裂けるよう切れていたのです。なぜ??…。
すぐにベンチにいた控えの選手からベルトを借りて守備位置へ走りました。それにしてもその時はとても不思議に思いました。ベルトはそんなに古いものでもなかったし(むしろ新しい方でした)、またボールに飛びついたり、ヘッドスライディングなどをした時は稀に切れたりすることもありますが、そんな記憶もなかったのですから…。
結局試合は1-5で負けました。最後までK投手を打ち崩すことは出来ず、点差以上の完敗でした。ただ私には何故か“思い切りやった”という気持ちがありました。現時点でうちとCho商業の力の差は歴然…、そんな気がしていました。
春は負けましたが、本番の夏に向けて新たな目標が出来ました。“打倒Cho商業”です。
この年のCho商業は間違いなく他の高校にも負けないから、夏はここに勝たなければ絶対に甲子園に行けない。それは紛れもない事実で他の皆もそう感じていたと思います。
試合後のミーティングでは同じようなことを言っていた監督もどこかサバサバとしていた印象でした。そして珍しくその日は球場で現地解散となりました。
制服に着替え、帰りの方向が同じ連中と最寄りの駅に向かって歩き出しましたが、私を含め皆も異常にお腹が空いていたのでどこかで何か食べようということになりました。
少し帰りが遅くなることを告げようと公衆電話から(携帯などまだない時代です)家へ連絡を入れました。電話が繋がると珍しく兄が電話口に出ました。私には4つ上の兄がいるのですが、当時、大学生だった兄は体育会のテニスを真剣にやっていたため普段は夕方に家にいることなどほとんどなかったからです。
私が皆と食事をするので少し帰りが遅くなることを話すと、兄からは信じられないような言葉が返ってきました。
「すぐ帰ってこい。」
「なんで?」と私が聞くと兄はこう言いました。
「じいちゃんが死んだ。」
To be continued…
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2007/7/13 S.Ishioka wrote |
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