仁鍼灸治療院(江戸川区・葛西)は、はりきゅう・マッサージ・スポーツマッサージ・リラクゼーションの鍼灸治療院です。
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J's diary(院長日記)
院長日記。不定期に
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スタッフからコラム(不定期)
Field of dreams〜院長日記番外編〜
石岡院長の高校時代の野球の物語です。
番外編として新登場!!
EP-21 (2007/7/20)
 「じいちゃんが死んだ…。」

 思いがけない兄の言葉に私はしばらく言葉が出ませんでした。しばらくして「えっ?」と聞き直すと兄は再び同じ言葉を繰り返しました。
 それからの帰り道はよく覚えていません。みんなへの説明もそこそこに一人で駅へ向かいました。特に大急ぎするでもなくゆっくり帰るでもなく、“ボッー”と電車に乗っていた気がします。今日の試合もずいぶん前のことのようでした。

 家に着くとすでに何人かの親戚が集まっていて、当時、関西に単身赴任中だった父も帰ってきていました。(亡くなったのは父方の祖父です)
 父には久しぶりに会いましたが、父は私を見るとこう言いました。
 「おう、帰ったか。今日は残念だったな…、おじいちゃん、そういうことなんだ。」
 その後、父は私に今日祖父が亡くなった時の様子や状況を説明してくれました。

 実は祖父は数ヶ月前、一人で散歩をしている最中に駅の階段で転び、その時に少し頭を打っていて実家からそう遠くない病院に入院していました。世話に行った母からは「おじいちゃん、あなたのことを心配していたよ」という言葉をいつも聞いていました。
 私も高校に入ってからはこんな生活をしていたので、なかなかお見舞いにも行けなかったのですが少しでも時間があったら顔を出すようにしていました。

 家族は私が小学4年生の終わり頃まで父の仕事の関係で、兵庫県の神戸市に住んでいました。物心ついた時に父方の祖母はもう亡くなっていたので記憶はありません。祖父は現在の私の実家がある千葉県に一人で住んでいましたが、だいぶ高齢になったため当時の古い家を建て直し、私達は父を神戸に残して引っ越してきたのです。
 それから母と兄弟三人、私が高校2年までの約7年間を祖父とともに暮らしました。

 私は本当に祖父が大好きで、いわゆる大の「おじいちゃん子」でした。私には兄と弟がいますが、祖父はことさら私を可愛がってくれていたように思います。私が祖父に一番懐いていたこともあったからでしょう。ある時、祖父に憎まれ口を叩いた弟を本気で怒ったこともありました。
 また幼い頃の家族で撮った集合写真を見返してみても、私はいつも祖父の膝の上に座っていたり、祖父の両手が私の肩に乗せられたりしています。

 祖父は「お父さんやお母さん、○ちゃん(兄)や○ちゃん(弟)には内緒だよ」と言いながら、いつも私には“おこずかい”をくれたりしました。
 またどこかオシャレで美味しいもの好きだった祖父は私が高校に入るまでの間、土曜の昼によく行きつけの寿司屋や天ぷら屋のカウンターでご馳走してくれました。その後は、だいたいサイフォンが“コポコポ”と音をたてているようなレトロな雰囲気の喫茶店でお茶をしました。
 今でも鮮明に覚えている祖父の言葉があります。それはいつものようにお昼を食べた後の喫茶店でオレンジジュースを飲んでいた私に向かって言った言葉です。
 「おじいちゃんは俊ちゃん(私の名前です)が一番好きなんだよ」と…。

 祖父の入院が長引き、後半は色々なことを忘れることが多くなってきて、いま自分が入院している場所や人の名前も思い出せないようになっていました。しかし、私の名前だけは最後まで忘れることが無かったし、お見舞いに行くと「俊ちゃん、練習大変か?」とか「ケガしてないか?」とか…、いつも私のことを心配してくれました。
 体力も相当落ちていたのでしょう。どちらかと言えばもともと細身のおじいちゃんでしたが、入院生活でさらに脚や腕も細くなっていました。毎日走り回って真っ黒に日焼けして、身体が一回りも二回りも大きくなった私とは大違いです。

 連れて行ってくれた寿司屋のカウンターでは玉子や鉄火巻(サビ抜きで)ばかり食べていた私と違い、ウニやヒカリものを慣れた感じで注文する姿がとても格好よかったおじいちゃん…。無類のコーヒーとタバコ好きで、喫茶店ではショートホープを燻らせながら美味しそうにコーヒーを飲むおじいちゃん…。
 そんな祖父がその時はとても小さく見えたことを覚えています。

 父から祖父が亡くなった様子を聞いた時にとても偶然という言葉では片付けられない…、“やはり人の想いはどこかで繋がっている”…、そう思わざるを得ないような事実を知り、衝撃を受けました。それは亡くなった時間のことです。

 今日の試合中、古くもない私のベルトが突然切れるという不思議な体験をしました。
 ベルトが切れたことに気が付いた時、時計を見たわけではないので正確な時間は分かりません。しかし、父の話では祖父が亡くなった時間がまさにその頃でした。ピッタリと同じではなくても限りなく近い時間帯だと思います。
 私はいわゆるそういう感覚に敏感な方ではないし、正直、信仰深いわけでもありませんが、この時の出来事は今も忘れられません。

 後に母へそのことを話すと、「おじいちゃん、いつもあなたのことを心配していたから教えに来たのかも知れないよ」と言いました。
 私もきっとそうだと思います。もしかしたらその直前に打ったセンター前ヒットはおじいちゃんが打たせてくれたのかも知れませんね。

 思えば通夜と葬式があった二日間は、親戚縁者はもちろんのこと父母や兄弟とも久しぶりに一日中、顔を合わせていました。そしておじいちゃんとも…。

 野球をしていない昼間は何となく不思議な感覚です。この時間に家にいること自体、以前はいつだったか記憶にないほどですから仕方がありません。
 久しぶりに住み慣れた地元を日中に歩きました。もちろん誰も祖父が亡くなったことは知らないし、私の心とは裏腹に町はいつも通りの平穏さです。
 でも毎日は相変わらず過ぎていくし、おじいちゃんがいなくなっても当面、私の生活が変わることもありません。しかし、おじいちゃんと一緒に過した7年間は私にとって今でも温かく大切な思い出です。
 そして私はまたいつも通り“野球漬け”の生活に戻っていきました。

To be continued…
 2007/7/20 S.Ishioka wrote
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