仁鍼灸治療院(江戸川区・葛西)は、はりきゅう・マッサージ・スポーツマッサージ・リラクゼーションの鍼灸治療院です。
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J's diary(院長日記)
院長日記。不定期に
更新しています。
スタッフからコラム(不定期)
Field of dreams〜院長日記番外編〜
石岡院長の高校時代の野球の物語です。
番外編として新登場!!
EP-24 (2007/10/18)
 春から夏にかけてのこの時期は練習試合が目白押しです。ほぼ毎週末どこかの高校と試合が組まれていて日曜はもちろんのこと、土曜も授業の終わった午後に試合をすることもありました。
 たまにある土曜午後の練習試合は普段とは少し違った雰囲気があります。また試合をする我々もちょっと張り切ってしまう理由がありました。

 EP-2に書きましたが、当時の野球部専用グラウンドは学校から歩いて20分くらいのところにありました。公立高校にしてはかなり恵まれた環境で、グラウンド外のバックネット裏、一塁・三塁側のベンチ上には観戦用のスタンドもありました。
 このスタンドも日曜の試合だと近所の習校ファンや野球好きのおじさんくらいしか観に来ないのですが(おじさん、スイマセン。感謝していましたよ!)、土曜は放課後にクラスの友人や結構たくさんの女子生徒が試合を観に来ます。
 そりゃ自分達だって盛りのついた(?)…、いや年頃の男ども、毎日まいにち坊主頭の連中に囲まれた生活ですからこの程度の刺激で大興奮です。(笑)スタンドに女の子を見付けた日にはみんなちょっと浮かれ気味で、どいつもこいつも気合い入りまくりです。「お前普段そんな球に飛びつかないだろ!」って奴までユニフォームが泥だらけです。

 中には自分の付き合っている彼女をグラウンドに呼んでいる輩もいます。基本的に監督は「女の手を握っているヒマがあったらバット握れ!」という人でしたが、その辺はみんな上手くやっていました。
 残念ながらというか情けないことに(諸事情があって=その辺は機会があれば…書くかな?)自分はスタンドに呼べるような彼女はいませんでしたが、それでもギャラリーに女の子がいるとやはり気合いが入ります。まぁそれは当然です。
 話が脱線して止まらなくなりそうなので元に戻します。そんな訳で今回はその対戦を今でも鮮明に覚えている東京のある強豪校との練習試合のエピソードです。

 その高校はM大N校です。ここは東京都でもトップクラスという訳でもなく、まして甲子園の常連ということでもないのですが、この年とてつもないピッチャーがいたのでとても印象に残っています。
 前回のEP-23で書いたW実業の魔球N川投手は、試合前日のスポーツ新聞でその存在を知りましたが、今回のM大N校のエース、F投手の存在を知ったのも実はスポーツ新聞でした。こう書くとなんかうちの高校はスポーツ新聞ばっかり見ているようですね。(笑)

 我々が見た記事にはこう書いてありました。
 “関東の奪三振マシーン!F!”“清原から3三振!”
 それにしても凄いネーミングです。何かサイボーグでも出てきそうでちょっと笑ってしまいましたが、その記事を読むとなかなかのものです。

 我々の世代において高校球界のスーパースターといえば、いわずと知れたPLのKKコンビ、“桑田・清原”です。特に清原選手(現オリックスバッファローズ)が一年生4番バッターとして甲子園に出て来たときに受けた衝撃は凄まじいものでした。あの時、私の率直な感想は「ホームランってこんなに簡単に打てるものなのか?」でした。

 現在はありませんが、当時の甲子園にはレフトとライトのフィールド内に“ラッキーゾーン”(両翼フェンス手前の金網で区切られた箇所でここに入ってもホームランでした)と呼ばれるスペースがありました。当時高校生が放つホームランはこのラッキーゾーンへのものがほとんどだった印象があります。まだバットやボールが今ほど飛ばない時代、近代トレーニングなど盛んでないこの時代に清原選手は軽々と外野スタンドの中段付近まで打球を飛ばしていた記憶があります。しかも打てばほぼホームラン、打ち損じがまずないのです。
 今年の高校生ドラフトでは大阪桐蔭の中田翔選手(日ハム)が大注目で“清原二世”とも呼ばれています。ただ私の勝手な感想ですが高校レベルでは清原選手の方が技術的にもパワーにおいても数段上だったように思います。今後の中田選手の活躍に期待ですね。

 この新聞の記事を詳しく読むと、最近M大N校とPLが練習試合をしたのですが、この試合でF投手は清原選手から5打数ノーヒット3三振を奪い、その時の球速はMAX150キロを超えていたというものでした。
 当時PLのKKコンビは春夏合わせて四大会連続の甲子園、そしてその殆どが優勝で高校球界では無敵でしたし、もちろん清原選手は秋にあるドラフトの大目玉でした。その清原選手から練習試合とはいえ3三振か…。う〜ん。
 この時の皆の反応は差し詰め…「こりゃやるね。さすがサイボーグだね。」とまぁこんなところでしょうか。
 ちなみにこの年のドラフトでF投手は日本ハムに指名されました。

 M大N校との練習試合が始まりました。ゲーム前にホームベース付近に整列して挨拶をしますが、その時私は彼を捜しました。
 いました、いました。奪三振マシーン!でも背はまあまあ高いのですが、思っていたよりは細身で華奢な感じです。“これで本当に150キロ投げるのか?”正直そんな印象でした。
 チーム自体の総合力では習校のほうが上の筈です。しかし相手はあの清原選手を完全に封じたピッチャーです。この試合は習校打線vsF投手、いかに彼から点を取るか…、そこにかかっている戦いで、ゲーム前の円陣では監督から狙い球と攻撃パターンの指示がありました。

 試合が始まりました。相手の先発はもちろんF投手です。どんな球を投げるのか一同大注目の中、一回裏習校の先頭バッターFさん(こっちもFで紛らわしい)に一球目が投じられました。“スパーン”速ッ!

 やはり速いです。横から見ていてもそれが分かります。試合は予想通りの投手戦となりました。習校のピッチャーO君も絶好調で次々とアウトを取っていきます。そして二回裏、ツーアウトランナーなしで私に打席が回ってきました。
 一球目、ストレートです。「ストライク!」正確には分かりませんが150キロ近くは出ていたと思います。140キロを超えるとそこからの5キロ、10キロは120〜30キロ代の球と全然違います。実際に打席に立つと本当に球がホップして来るような印象です。表情には出しませんでしたが、内心は「速いなぁ…」と少し焦りました。

 春の県大会で対戦したCHO商業のK投手(EP-19)も速かったのですが、彼の方がさらに速く見えました。また球の質がK投手とは明らかに違いました。K投手は“ズドーン”という感じでいかにも重そうでしたが、F投手は“スパーン”という感じ、それこそライジング(浮き上がってくるような)してくるような切れがあります。プロの投手に例えるとK投手は中日の川上憲伸投手、F投手は日ハムのダルビッシュ投手といったところでしょうか。

 二球目はさらに面を食らいました。球筋が明らかに外に外れていたので見逃すと、その球は打席近くで急激に方向を変えて外角ギリギリに決まりました。もの凄くブレーキの効いたカーブでしたが、冗談抜きで140キロ近く出ていたと思います。そんな球速でこれほどの鋭い変化球は初めて見ました。
 結局その打席は2-1から高めのつり球に手を出してあえなく三振でした。

 試合は終盤相手のミスやF投手の四球から二点を奪い、さらに二番手の投手からも得点を重ねて勝利しました。うちのピッチャーは完封のおまけ付きです。私も二打席目にストレートをセンター前ヒット、次の打席は三振をしましたが四打席目はラッキーなポテンヒットを放ち(打ち取られてますが…)結局4打数2安打1四球という内容でした。
 しかし、試合には勝ちましたが序盤は完全にF投手に押さえ込まれていました。今日の相手は県外なので予選で当たることはありませんが、県内にもまだまだ未知の強豪や凄いピッチャー、バッターがいるかも知れませんね。

 N校が帰り、グラウンド内の片付けをしている時にふと思いました。
 「清原選手がノーヒットでオレが二安打?…、もしかしてオレの方が上か?なんて…。そんな訳ないか…。(笑)

To be continued…
 2007/10/18 S.Ishioka wrote
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