仁鍼灸治療院(江戸川区・葛西)は、はりきゅう・マッサージ・スポーツマッサージ・リラクゼーションの鍼灸治療院です。
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J's diary(院長日記)
院長日記。不定期に
更新しています。
スタッフからコラム(不定期)
Field of dreams〜院長日記番外編〜
石岡院長の高校時代の野球の物語です。
番外編として新登場!!
EP-6 (2006/8/24)
 3年生が引退し、1・2年生による新チームがスタートしました。ここからは来春の選抜甲子園へ続く秋季大会に向け、また厳しい練習の始まりです。

 新チームスタート当初、私はいわゆるメンバー組に入っていませんでした。秋には何としてもベンチ入りしたかったので、毎日のように夜遅くまで残って練習をしていました。しかし、そうはいってもまだ1年生、自分の練習が出来るのは全体練習、上級生の自主トレの手伝い、その他雑用など全ての仕事が終わってからです。急いで仕事を片付けて「今日は1時間できる」とか「今日は素振りだけ」そんな毎日でした。

 夜の自主トレは“ティー”(一人がトスを上げてそれをネットに向かって打ちます)か“マシン”相手のバッティング練習が中心でした。この2つはどちらもパートナーが必要なので、私はいつも同級生で一番仲の良かったI.H君と一緒に練習していました。
 彼は私と同じく、習校へは推薦組でEP-3にも少し書きましたが中学時代、硬式でALL JAPANの4番を打っていた経歴があり、その年の夏の予選では1年生ながらベンチ入りも果たし、我々の代では主将も務めた人です。彼の自宅は私の一つ手前の駅だったこともあり、帰りもいつも一緒でした。
 彼とは3年間、本当に色々な話をしました。今思えば、まさに“青春真っただ中”って感じでしたね。
 「絶対、甲子園行こうな!」とか「○○は絶対お前に気があるって!」etc…
励まし合ったり、些細なことでケンカしたり…おバカな話も沢山しました。もちろん野球の技術的な話も沢山しましたが、女の子の話も多かったなぁ…(笑)そんな話題でもないと気持ちが持たないですよね。
 帰りの電車では“ケツバット”で腫れ上がったお尻のためまともに座れず、お互いシートにうつ伏せの状態で話したこともありました。(終電なのでいつも車内はガラガラでした)電車では2人ともいつの間にか寝てしまうのですが、彼は“しっかり者“だったのでいつも降りる間際に私を起こしてくれて、必ずこう言いました。
「じゃあ明日な。もう次だから寝るなよ」

 話は少し逸れますが、今は指導者のいわゆる体罰・暴力(?)の話題をニュースや新聞などで多く目にします。その時々の状況や程度がよく分からないので、その境界線はとても難しいところです。ただ一つ、私も実際それを体験して思えることは、それが“愛情あってのものなのかどうか?”ということについて生徒は意外と解っているということです。
 得てして問題になるケースは、指導者と生徒間の相互理解・普段のコミュニケーション不足などに起因していることが多いのではと思うのです。
 もちろん限度はあります。度を過ぎた暴力は決して許されません。決して暴力を肯定する訳ではありませんが、少なくても当時の我々はそれを暴力・体罰と感じたことはなかったですね。それは明らかに“愛情”というものが感じられたからです。これがその都度、事件だったら、当時の私たちは毎日問題になっていましたね…(笑)
 しかし、これも時代なのでしょうか?指導者も年々、難しくなってきているようです。

 夜の自主トレでバッティング練習が多かったのは、私が単純に打つことの方が好きだったからだと思います。私は守備があまり得意ではありませんでした。というよりはっきり云って下手でした。あえて言い訳をすれば、私は中学までずっとピッチャーだったので、実は他のポジションを真剣に練習したことがなく、ほとんど守ったこともなかったのです。
 EP-1で書きましたが習校へ入る条件が“ピッチャー以外で”ということもあり、実際入部して「自分の得意なポジションにつけ」と云われた時は正直“どうしようか?”と思いました。結局、サードについたのですが、これもただ単に千葉県出身のご存知、長嶋茂雄さんや野球部の偉大なOB掛布雅之さんに感化されていただけです。

 守備が苦手と自覚しているのならなおさら練習しなければ…とは思っていたのですが、どうも好きでないものにはついつい疎くなり…結局、最後まで守備はお世辞にも上手くなったとは云えなかったですね(笑)
 お陰で私は3年間、それは色々なポジションをやらされました。というより監督もどこで使うかを相当に苦慮していたのだと思います。
 そのせいか引退するまでの間、チャンスや大事な場面で打てなかったりすると私は監督からいつも口癖のように「バカヤロー!お前は打たなかったら使わないんだよ!」と怒られていました。

 全体練習のバッティングは通常、ホームベース付近に3つのゲージ(鳥かご型のネット)を並べてメンバーが3人ずつ打ちます。メンバー以外の部員はバッティングピッチャーとキャッチャーを交代で務め、残りは守備につきます。
 3年が抜けても部員は相当数いるので時間の関係上、毎日全員に打たせることは出来ません。通常はメンバーのみ、だいたい3ゲージを4〜5回転くらいなので12〜15人くらいでしょうか。中でも1ゲージ目はバリバリのレギュラークラス、クリーンナップ(チームの3・4・5番)や1番バッターなどが打つので、ここに入ることはとても名誉なことでした。
 全員を打たせる日もあったのですが、それは月に数回程度です。監督はその中から振れている者を一人か二人ピックアップして、翌日から4・5ゲージ目あたりで数日打たせて様子を見たり、練習試合で使ったりします。もちろん打てていないメンバーはゲージから外されることもあります。
 メンバー以外の部員は月に数回の全員バッティングの日を目指して、わずか数球の中で監督の目に止まる結果を出せるように毎日自主トレをします。私もその一人でした。

 私はこのバッティング練習でキャッチャーをする時、いつも必ず監督に対して一つのアピール(?)をしていました。メンバーがバッティング中、監督はいつもゲージの後ろで見ているのですが、キャッチャーは監督に背を向けています。キャッチャーはバッターの打ったファールチップや取り損ねなどで手を傷めないように、ミットを持っていない方の手を腰あたりに回しているのですが、私はこの時、いつもわざとらしく“手のひら”を監督に見せるように開いていました。
 今でこそ綺麗な手のひら(?)ですが、当時は毎日の素振りでマメだらけ、皮はひどく剥けてボロボロでした。
 「監督!自分はこんなにバット振っています!だから打たせて!」みたいな。セコイ…
 大したアピールになっているのか怪しいものでしたが、それくらい必死でした。

 ある土曜日の練習終了後、ミーティングで監督から明日の練習試合の遠征メンバーが発表されました。翌日はうちと県内の2校、計3校で他校のグラウンドに集まりトリプルヘッター(3校が集合して総当たりで試合をします)の予定が入っていました。メンバーは朝、グラウンドから遠征バスで出発、居残り組は練習です。
 一人二人とメンバーが呼ばれ、当然I.H君も入っています。すべて呼び終わり私の名前はもちろん入っていませんでした。“やっぱりダメか…”
“じゃあ解散!”皆で一礼して私も引き上げ出した時、監督が突然、こう言いました。
 「おう、そうだ石岡!お前も明日来い!」???・・・何ですか?
思わず「はい」と返事したものの、状況がよく把握できない私は訳が分からずその場に立っていましたが、監督が引き上げた後、I.H君が「ヨッシャー」と言って私のお尻を叩きました。
 しかし、バッティングゲージにも入っていなかった私がなぜ呼ばれたのか…未だに謎です。まさかアピール作戦が効いた?それはないか…。

 翌日の2試合で私はそれぞれ一度ずつ、代打として打席に立ちました。前夜は興奮と気合いでなかなか眠れませんでしたが当日は不思議と気負いもなく、むしろ久々の試合に心はウキウキしていました。結果はともにセンター前ヒット、うち一打席はタイムリーヒットで打点もあげました。
 その翌日の練習から私はバッティング練習でゲージに入り、メンバーのシートノックにも外野手として守備につくようになりました。


To be continued…
 2006.8.24 S.Ishioka wrote
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