仁鍼灸治療院(江戸川区・葛西)は、はりきゅう・マッサージ・スポーツマッサージ・リラクゼーションの鍼灸治療院です。
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J's diary(院長日記)
院長日記。不定期に
更新しています。
スタッフからコラム(不定期)
Field of dreams〜院長日記番外編〜
石岡院長の高校時代の野球の物語です。
番外編として新登場!!
EP-9 (2006/11/28)
 暦もすっかり秋めいて、新チームもそろそろ板についてきました。この頃になると秋季大会県予選に向けて練習も連日夜遅くまで、練習試合も数多く組まれるようになります。
 秋季大会は翌春の選抜甲子園へと続く第一歩です。ここでの優勝、準優勝校は県代表として関東大会へ進み、ここでベスト4、またはそれに準ずる成績(普段の練習試合成績なども加味されます)を挙げた高校は関東地区代表として甲子園に選抜される訳です。

 この頃、私は既にレギュラーポジションを獲得していました。打順は6番か7番あたりでしたが、3番や5番を打つこともありポジションはレフトです。
 新チームとなった直後はどの高校も実力は拮抗、ドングリの背比べと言われています。3年生が抜けて間もないので、どこもまだそんなに実力差がないのですね。
 約一年後の夏くらいになると、やはり強豪校は練習量も豊富なので少しずつその差も開いてきます。春の選抜甲子園には初出場の学校が多く、夏の甲子園には強豪校や伝統校が多いと云われるのはそういう理由があるのかも知れません。

 通常の練習でも、今まで控え組だった部員がバッティングや守備でどんどんテストされたり練習試合にも使われたりするので、皆それはもの凄い気合いの入りようです。
 “何とかこれをキッカケに…”とメンバー入りを狙う大勢の部員の中で、私はとりあえず一歩リードしてはいましたが、この競争から蹴落とされないよう毎日必死でした。
 夜、全体練習後の自主トレもみな遅くまで競い合うようにしていましたね。

 幾つかのラッキーもあり、その時点で私はレギュラーとして試合に出ていましたが、自分より何倍も練習していたり、それでも結局3年間一度も「NARASINO」のユニフォームに袖を通せなかった部員も沢山いました。そんな奴らに対して練習や試合で手を抜くのは何となく申し訳ないというか、失礼な気がしていました。
 当時、同じクラスだったM君はとても真面目でそれはよく練習をする人でした。家は決して近くなかったのですが、毎晩いつも最後まで残って練習をしていました。しかし、結局引退までただの一度もメンバーに入ることが出来なかったのですが、そんな彼にある時こんなことを言われました。
 「俺がメンバーに入れないのはお前達に勝ててないから。だからチームが負けると余計に悔しいんだよね」と。試合に出ている人はいい加減に出来ないですよね…
 他の連中も試合で私がヒットを打つと一緒にガッツポーズをしてくれたり、チャンスで打てなくても「ドンマイ!ドンマイ!」とか「次!次!」などと言ってくれたりして…そんな周りの奴らが本当に大好きでしたね。

 とにかくチーム内は、特に同年代は本当に良いムードというか仲間意識が強かったです。ライバル心は当然ありますが、決していがみ合ったり足を引っ張り合ったりすることもなく、練習が終われば普通にバカな話をしたり女の子の話題で盛り上がったり…
 引退してかなり経ちますが、今もあの時、ともに歯を食いしばって頑張った彼らには「同じ釜の飯を食った仲間」という言葉だけでは片付けられない特別な感情があります。

 先にも書きましたが我々の代はかなり力のある選手が揃っていたので、新チームとなったこの頃もレギュラー9人のうち約半分は1年生でした。
 仮にこの年次で甲子園に行けなくても、我々の代が3年生になった時にはかなり期待が出来ると当時のOBや学校は相当期待していたようです。私もこいつらとだったら…というか間違いなく甲子園に行けると信じて疑わなかったですね。
 新人戦や練習試合でも比較的良い成績だったので、この秋もかなり本気に選抜を狙っていました。秋季大会では順調にベスト8まで駒を進めましたが、残念ながらその年の選抜への道は断たれました。
 甲子園は本当に近そうで遠い…そう実感しました。

 この時期は学校行事も色々とあります。監督は普段から「学生の本分は一に学業、二に野球」などと言ってはいるものの…「逆ですか?」と思うようなことが多かったかな。
 実際、入学して間もない頃に“新一年生全員参加の旅行”があったのですが、野球部は遠征試合があったので途中合流でした。クラスの皆が夕食をとっている大広間に「ウース!」とか言いながら入って行ったのを覚えています。
 また習校には体育祭というものがありませんでした。昔はあったらしいのですが、噂によるとあまりのケガ人続出、その激しさに廃止になったとのことでした。確かにうちの高校は柔道部だと140キロオーバーとか、バレー部では200センチ近いのだとかそれこそ怪物みたいなのがゴロゴロいるので分からないでもないですが…

 その代わりなのか秋にはマラソン大会がありました。さすが自称進学校の“純スポーツ学校”、マラソン大会も半端ではありません。コースは小高い山を3つ越える10kmのクロスカントリーコース、何でも千葉県の某有名アスリートクラブが普段練習で使うところだそうで、これを男女に分かれて走ります。(陸上部と3年生は免除です)
 習校は一学年8クラスだったので男子だけで約200人、これが二学年ですから約400人が一斉に走るわけです。

 野球部には監督から当然ノルマが課せられます(笑)
 ただ、このマラソン大会には皆のモチベーションを最高に上げる通例がありました。レースは15位までが入賞なのですがここに10人以上、そして1位を野球部が取ればその日の午後の練習は休みというものです。これはもの凄い気合いが入ります。
 しかし、1年生は上級生からも色々と“イジラレて”笑いを取らなければならない試練があります。

 例えば…
1. スタートから100mを逆方向に走り「あっ!間違えた」と言って追いかける。
2. 同じくスタートから100mを後ろ向きで走る。
3. ハーフパンツ&ランニングシャツで気合い全開に走る。(とても寒い…)
4. ジャージのズボンを膝まで下げて行ける所まで行く。(ハーフパンツは履いています)
5. 胸と背中に「瀬古」とか「イカンガー」(時代がわかるなぁ…)という文字をテーピングで書かれ、レース中ずっと真似をしながら走る。
などなど…

 これは他の生徒も毎年楽しみにしているところがありましたし、うちの監督も笑って見ていたので何となく野球部名物みたいな感じでした。
 しかし、恐ろしいのは野球部のポテンシャル…午後の練習休み獲得への気合いはあるのでしょうが、こんな事をしていてもほぼ15位以内を独占します。まぁ、毎日あんなに走っていればねぇ…下手をすれば陸上部より速いかも?というくらいですから。
 ちなみに私は1年生時に7位、2年生では5位でした。速いでしょ!

 そんな訳で二年連続マラソン大会の日の午後練習はなかったのですが、そんな時にこそ改めて気付く事があるのです。普段、休み慣れていないせいか(?)急に休みをもらっても正直何をしたらいいのか分からないのです。
 少なくとも私を含め、私の周りの連中は彼女もいなかったので特に予定もありません。
 明るいうちに帰宅することなんて皆無ですから、みんな「どうする?何する?」などと焦って悩んでいるうちにとうとう貴重な休日は終わってしまいました。悲しい…

To be continued…
 2006.11.28 S.Ishioka wrote
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